証拠が嘘を助ける?騙されにくい自分なりな判断方法を探し続けましょう

他人の話が疑わしい時にはその論拠となる証拠が知りたくなりますよね。

私のブログにすら、証拠を示さないなんてとんでもない。「幼稚な文章を書くな」とお叱りが寄せられるくらいです。

証拠があると安心してしまいますから、こういった欲求が出てくるのでしょうが、証拠ってそんなに信用して良いものなのでしょうか?

証拠ってなに?

文章に、「××調べによると○○という事が分ったようです」なんて書くとものすごく信憑性の高い文章のように感じますよね。私もこういった引用を使います。

でも本当にこの文章が引用している調査結果が100%正しいものなのかというと、そう言い切れる証拠はありませんので参考程度にとどめておいてください。

こういったデータは本当に調べたかもしれませんし、改ざんしているかもしれません。予備的な調査を行い傾向を把握し、その傾向が強い範囲のみで再調査すれば、意図した結果をあたかも正当な調査で判明したデータのように提示することもできますからね。

この頃の国会では働き方改革のデータや森友問題の値引き根拠など、ほぼ正しくないと思われるデータが証拠として扱われていましたから、証拠として提示されるデータを信じてはいけないと痛感している人も多いでしょう。

裁判で証拠として使われるDNA鑑定ですら、以前の鑑定結果では個人を特定することはかなわない程度の精度だったにもかかわらず、その結果で有罪判決が出たケースもあり、えん罪問題を引き起こしています。

このように証拠を証明することはほとんど無理な事ですし、証拠はいくらでも作り出せるものだと思っておいた方が良いでしょう。

何を信じたら良いのか?

証拠を信じるなというと、何を信じたら良いのか分からなくなりますよね。

なにかと決断を迫られる人生において何が正しいのか、何が悪い事なのかを知りたいはずですが、証拠が信じられないという事ではどうしていいのか分からなくなってしまいますよね。

なので、複数の証拠やいろいろな立場の意見など多角的に情報を集めて自分なりな考えをまとめていただきたいと思います。

権威性の罠

いろいろな意見をまとめる際に、この人の意見は信用できそうだけどこの人の意見は信じられ無さそうだと安易に判断してしまうと騙されやすい人になってしまいますのでご注意ください。

大学教授がよくテレビに出てきますよね。こういった専門知識を持っていそうな人や、地位が高い人や権力者の意見がさも正しい事のように提示されますが、こういった権威性の罠には特に注意してください。

私たちは権威性の罠に引っかかりやすいように出来ています。だってあの人の方が知識もあり人望もあるのだろうから信用していいのではないかと考えるからです。

でも、本当に信用していい人なのかどうかも分かりませんし、その人の意見の一部を切り取って発言をゆがめた結果を見せられている可能性だってあるのですから。

何が正しいのか、正しくないのかの判断方法は人それぞれですが、騙されにくい自分なりな判断方法を探し続けていきましょう。